ダズ、と呼ばれ一瞬返事に戸惑った。黙ったままのおれに、彼は眉間に皴を寄せもう一度同じ様に、ダズ、と繰り返した。ようやく、はいとだけ答える。何か必要な物があっただろうか。葉巻の補充も、希望の酒も揃えた。食料も買い込み、備え付けの冷蔵庫に入っている。
簡単な調理は出来るから、最近はほとんど部屋で食事をする。商談だと出かけていく彼について外へ出ない限り、ほぼ二人だけの晩餐だ。
朝食はあまり喉を通らないらしい彼に、それでもスープだけ勧めて、ようやく渋りながらも口にするようになった時は正直嬉しかった。
ああ、もしかして新聞だろうか。表の情報はやはり新聞が頼りになる。買ってきます、とドアノブを回したところで後頭部に軽い衝撃が走った。ぽとり、と床に落ちたそれを拾い上げる。見ればソファに置かれていたクッションだ。どうやら彼が投げつけたらしい。もっとも、ここにはおれと彼の二人だけしかいないのだから、他にそんなことが出来る人間はいないのだけれど。
拾ったクッションと彼の顔を交互に見つめる。
「…ボス…?」
「……」
返事はない。ソファに寄りかかり、顔を背けたままこちらを見ようともしてくれない。どうやら自分は、彼の機嫌を損ねてしまったらしい。心当たりが全く思いつかず立ち尽くすおれに、彼、クロコダイルはぎろり、と横目でおれを睨み付けた。正直、恐ろしい。今にも砂嵐が室内で発生しそうだ。
「どう…しましたか。新聞なら、今から買いに…」
ばしっ、と今度は彼が手にしていた雑誌が顔面を直撃した。避けようと思えば勿論簡単な事だが、そんなことをすれば彼の機嫌は更に悪くなるだろう。
「…ダズ」
「…はあ…、ああええと…はい」
そもそも名前で呼ばれた事など今まで一度もなかった。BW時代はナンバーで呼ばれていたし、インペルダウンでもそうだ。ここへ来てから2週ほど経過するが、身体を重ねている時でさえ呼ばれたことはないはず。彼は上がる声を無理に抑えてしまうから、それも仕方がないのだけれど。
「……」
とうとう我慢の限界が来たらしい。突然立ち上がりコートを掴むとさっさと外へと向かおうとする。一人で行かせるのにはまだ彼は不安定だ。その辺の雑魚にどうにかされる心配はなくとも、見も知らない男と宿へと消えていくのだけは、どうしても心が揺れる。
「ボス!おれも、付き添わせてください」
「…好きにしろ」
「はい」
思ったよりもあっさりと同行を許されておれは慌ててその背を追う。相変わらず眉間の皴は深く刻まれたままだったが、彼は何も言わなかった。ただひたすらに歩き、突然立ち止まる。
「…?」
「ダズ」
「はい」
何処か、目的があるのかと思っていたがどうやら違うらしい。何しろここは路地裏だ。飲むにしろ、食うにしろ、もう少し先まで歩かなければ店はない。どうするつもりなのだろうと足を止めれば、また名を呼ばれる。今度は、すぐに返事をした。理由はわからないままだが、同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
ふ、と息を吐く音が聞こえた、と思った瞬間突然背中に痛みを感じ顔を顰める。それから、唇に触れる濡れた感触。
「…ん、ふ…」
彼が小さく声を漏らした。それでようやく口付けられているのだと気付く。背中に感じるのは冷たい煉瓦の壁で、そこへ自分は押し付けられている。右腕で腕を押さえられ、鉤爪が首に周り頭を引き寄せられる。正直、辛い。
「…ボ…」
「黙れ」
「……」
呼吸の合間に理由を問おうと口を開いた直後、一掃される。仕方なく伸ばされる舌に答えながら彼の腰へ腕を回した。満足そうな吐息と共に、角度を変えて舌が絡む。彼が望むだけ唇を貪って、腕を押さえていた彼の指がシャツを掴む頃に唇を離す。とろりとした蜂蜜色の瞳が自分を映すのに、思わず息を飲んだ。
「ボス、…戻りましょう」
「……」
不満げな表情の主の手を取り、歩き出す。いくら人通りが少ないとは言え、いずれは人目につく。潜伏している立場であるのに、目立ってしまっては元も子もないのだ。
出かけよりも何倍も早いスピードで部屋につき、ドアの鍵もそこそこに再び吸いついてきた唇を甘く噛みながら結局、二人で朝まで絡み合った。
翌朝、まどろむ彼に再び理由を問えば、別に、と返される。それ以上問うても答えてはくれないのだろうと諦め、コーヒーを淹れるべく立ち上がる。ケトルで湯を沸かし、フィルターをセットしているおれに、彼がまた名を呼んだ。
「ダズ」
「はい」
「早くしろ、ダズ」
「はい」
「ダズ」
「…はい」
答えるたび、彼の頬が緩んでいくのに気付いたのはコーヒーを飲み干してからだった。
*すぐに返事をしてくれなきゃ・終*
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あえて最後にタイトルを持ってきたお話。
鰐はダズって呼ぶのが好き。そして返事してくれるのがもっと好き。いちゃいちゃしてるダズ鰐。
いいよね^v^
鰐っこが乙女過ぎるけどな´ω`